写真家・吉田航太のブログ

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パリ管弦楽団 Be nature

 今夜はパリ管弦楽団の鳥取公演を聴いた。とりぎん文化会館25周年、山陰放送が開局65周年記念の開催であった。演目はベートーヴェンの『田園』それからマーラーの『巨人(交響曲第1番ニ長調)』であった。1階席の後ろの方で聴いていたが、繊細な演奏に感動した。第一印象は、音色も去ることながら演奏者の動きであった。優しく弱い音ほど、ヴァイオリンのような弦楽器であれば、大きく振りかぶって弾き、ティンパニなどの打楽器は前傾姿勢になって、直に耳で音を確かめるかのように叩く。それがとても印象的であった。優しく弱く奏でるほど、奏でるまでの助走はそれ以上に丁寧にしているように見えた。これは写真でも同じことだと思い、心に留めた。

 一番聴き入ってしまったのは、マーラーの方で、しっかりと巨人を聞いたのは初めてであったが、前のめりになって、目と耳で鑑賞していた。ヴェートーヴェンにはなかった、打楽器、パーカッションも加わり、音に迫力が増し、それでいて、様々な階調、音色が多く盛り込まれ、響き合っているのももうたまらなくシビれた。長い交響曲でも展開に富んで飽きがこない。そこに盛り込まれている本当に小さい音が、1階席の後ろまで伸びてくるのである。もちろん、強弱のウェーブも。それはどこか霧がサーっと流れてくるような感覚に陥って、霧が立ち込める世界が広がったように見えた。その繊細さは先に述べたように霧立ち込める、草原のようで、海のようで、朝のようで夕のようであった。様々な美しい自然が音楽となって広がっている感じがした。それはまさにbe natural ではなくbe natureだと思った。

 音楽やもちろん写真もそうであるが、よりクラシック、アナログなものが人間の求めんとする感覚欲みたいなものを満たしてくれる。けれど、その音楽、写真のどちらもが、どうだと言わんばかりの人間の意図がふんだんに盛り込まれたものももちろんある。友人と話していたが、演じる楽団、国が違うだけで同じ交響曲でもガラッとイメージが変わる。ただ、極上の一品はやはりそこに人間の存在が消え、自然そのものがそこにある、広がるものなのではないかと思う。そんなものに触れてゆける、また、生み出せるような人生を送りたいと思った。少なくとも様々なそれに触れてゆくことを大事にしたいと改めて思った。

 拍手に包まれ入場し、簡単にチューニングをして、コンダクターの腕が揺れたその瞬間から一心不乱に体をフルに使い、優しく繊細な音を永遠と奏で続けるタフで寡黙な遥か欧州の人たちに称揚の眼差しでブラボーと叫び余韻に浸った夜だった。

| 吉田航太 | - | 23:59 | comments(0) | -









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