写真家・吉田航太のブログ

"Cali"は人のビーチライフ

 元鳥取でサーフィンをしていて、今は卒業して愛知で働いているSさんから鳥取帰るからサーフィン撮りに来てよと誘われ午後から意気揚々と海に出かけた。度々誘ってくれて嬉しい。僕がアメリカに行く前から一緒に海に連れてってもらったりしていて、好きなことを純粋にしていて、カッコよくて、少年のようなSさんはずっとずっと憧れ。Sさんと彼女のMさんと海に行って、久しぶりにサーフィンを撮りながら海岸に立っていたら、どこかカリフォルニアにいた頃を思い出していた。

 カリフォルニアは波がいいからいたるところにサーフィンをしている人がいる。けれど、この鳥取の白兎海岸のちょっと西だってサーフィンをしている人がいる。何も変わらないと思った。

 アメリカ人は、カリフォルニアの雰囲気をダブルコーテーションをつけて"Cali"と表現する。それは、みなさんが思い浮かべるカリフォルニアの雰囲気と変わらない。けれど、ディテールを見ていくと、もちろん海が美しくて、太陽が輝いていて、気温がよくてといった環境的なものあるのだけど、それにも増して、人が海辺で生活しているそのものをあらわしていると思う。サーフィンに朝行って、仕事から帰ってまた夕方に入る。海岸をドライブする。海岸でコーヒーを淹れて飲む。海に行って休憩する。ビーチサイドにバスケットやバレーコートを作って、みんなでする。そのどれもが海を中心としている。海を中心に生活している。海にいる時間が長い。だから、海辺にお店が多い。から、人が集まってくる。

 何をするにもベースが海にある、それはとても心地いい。それを"Cali"の人は知っているから海で過ごす。そんな海が僕も好きである。そんなことをふと考えた美しい春晴れの午後だった。

| 吉田航太 | - | 23:50 | comments(0) | -
「面白い」

本質的に面白いということを感じる、手にする、満たされる、ということは、他のことを踏み倒してでも、そのものだけに黙って愚直に精魂かけた時間の賜物。だと思う。

| 吉田航太 | - | 17:53 | comments(0) | -
Do Everything.

 2019年も始まって3日。2019年、写真でできることは、全てやる気持ちで。と年末に書いたけれど、それからずっとそのことを考えていた。やっぱり何であってもだいたいでいいやだと面白さが楽しさが半減する。から、何でも全部やってやろうくらいの気持ちの方が情熱がめらめらと燃える。大変でもどこか不思議と楽しい。それが結果的に8割くらいであってもかなり濃い8割だと思う。

 それぞれの暮らしで、仕事で、学業で、取り組みの中で、頑張ること、頑張りたいこと、楽しむこと、遊ぶこと、何でも全てやる気持ちでスタートをそのスマホを持つマウスを持つその手から。ちょっと自分の手を自分で眺めると出来そうな気がしてくる、力が湧いてくる気がする。その調子で毎日いたい。

 僕の2019年はDo evening with Photographyで毎日、日々楽しく生きたい。
改めて、今年もどうぞよろしくお願いいたします!

#doeverything

| 吉田航太 | - | 23:56 | comments(0) | -
明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます🌅
2019年もときめきを大事にフレッシュに写真を撮っていきたいです。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

Photo by Keisuke Mitsumoto

| 吉田航太 | - | 23:53 | comments(0) | -
2018年の終わりに

2018年もお世話になりました。
昨年の今はまだアメリカ生活だったので、年明け日本に戻ってからまたたくさんの人に支えられてなんとか2018年終えられることができました。
毎度毎度、好き勝手やってしまうのですが、それでも「こいつにやらせよう。」「こいつに任せよう。」「こいつを採用しよう。」「こいつに撮られよう。」「こいつの作品を買おう。」そう思ってもらえることは本当に幸せなことだなぁとつくづく思います。素晴らしい人がたくさんいる中でそんなに偉大ではないけれど、それでも貴重な時間と機会とお金を自分に注いで頂けることは本当に嬉しいことで、毎度毎度背筋が伸びます。いつもいつもどうもありがとうございます。
 今、少しでも僕の顔が思い浮かんで頂いた、全ての人のお陰で24年をまたいだ今の僕はあります。感謝してもしきれませんが、なかなか直接感謝できていないことがまだまだなってない部分かと思います。ご容赦ください。ただやっぱり365日あっても、たくさんのことは意外にできないので、失礼も多々あるかと思いますが、来年も変わらず「シビれる」「酔いしれる」瞬間を大事に日本で世界で向き合っていきたいと思っております。
 僕はグラデーションが好きです。グラデーションは個々の色の集合体という意味、色ですが、いろんな単色が混ざっていて、単色も見えるけど隣同士が混ざった色もある。そしてそれで一つと捉える。この世界にたくさんのものが存在していて、その中で、人から情景まで横断的にシビれるものに向き合う。カメラを交えて瞬間に向き合うのは好きですし、それぞれでシビれる瞬間にエクスタシーを感じます。また、会ってくれる人、飲んでくれる人、仲良くしてくれる人たちもそれぞれが別のことをしていて別の暮らしがあって、結局は個々人で成り立っておりますが、それでも交わって、人間が育って、楽しい時間が生まれていくのはこの上ない人生の充足感があります。
 2019年、写真でできることは、全てやる気持ちで参ります。もちろん1年で全てはできませんが、それくらいの気持ちで、撮る眼差しも紙もウェブ上も「シビれる」に寄り添ってまずは僕がシビれ続けて、それが一人一人に伝染していけるように、勇気になるように、情熱が湧くきっかけになるように、無茶苦茶にしつけならずに突き進みたいと思っております。誰かの生活の中で、満たされる時間、夢広げる時間、考える時間が写真の前で少しでも多く生まれますように。

良いお年をお迎えくださいませ。

鳥取より吉田航太でした。

| 吉田航太 | - | 23:59 | comments(0) | -
パリ管弦楽団 Be nature

 今夜はパリ管弦楽団の鳥取公演を聴いた。とりぎん文化会館25周年、山陰放送が開局65周年記念の開催であった。演目はベートーヴェンの『田園』それからマーラーの『巨人(交響曲第1番ニ長調)』であった。1階席の後ろの方で聴いていたが、繊細な演奏に感動した。第一印象は、音色も去ることながら演奏者の動きであった。優しく弱い音ほど、ヴァイオリンのような弦楽器であれば、大きく振りかぶって弾き、ティンパニなどの打楽器は前傾姿勢になって、直に耳で音を確かめるかのように叩く。それがとても印象的であった。優しく弱く奏でるほど、奏でるまでの助走はそれ以上に丁寧にしているように見えた。これは写真でも同じことだと思い、心に留めた。

 一番聴き入ってしまったのは、マーラーの方で、しっかりと巨人を聞いたのは初めてであったが、前のめりになって、目と耳で鑑賞していた。ヴェートーヴェンにはなかった、打楽器、パーカッションも加わり、音に迫力が増し、それでいて、様々な階調、音色が多く盛り込まれ、響き合っているのももうたまらなくシビれた。長い交響曲でも展開に富んで飽きがこない。そこに盛り込まれている本当に小さい音が、1階席の後ろまで伸びてくるのである。もちろん、強弱のウェーブも。それはどこか霧がサーっと流れてくるような感覚に陥って、霧が立ち込める世界が広がったように見えた。その繊細さは先に述べたように霧立ち込める、草原のようで、海のようで、朝のようで夕のようであった。様々な美しい自然が音楽となって広がっている感じがした。それはまさにbe natural ではなくbe natureだと思った。

 音楽やもちろん写真もそうであるが、よりクラシック、アナログなものが人間の求めんとする感覚欲みたいなものを満たしてくれる。けれど、その音楽、写真のどちらもが、どうだと言わんばかりの人間の意図がふんだんに盛り込まれたものももちろんある。友人と話していたが、演じる楽団、国が違うだけで同じ交響曲でもガラッとイメージが変わる。ただ、極上の一品はやはりそこに人間の存在が消え、自然そのものがそこにある、広がるものなのではないかと思う。そんなものに触れてゆける、また、生み出せるような人生を送りたいと思った。少なくとも様々なそれに触れてゆくことを大事にしたいと改めて思った。

 拍手に包まれ入場し、簡単にチューニングをして、コンダクターの腕が揺れたその瞬間から一心不乱に体をフルに使い、優しく繊細な音を永遠と奏で続けるタフで寡黙な遥か欧州の人たちに称揚の眼差しでブラボーと叫び余韻に浸った夜だった。

| 吉田航太 | - | 23:59 | comments(0) | -
コーヒーを飲むそのちょっと前

 コーヒーが好きだ。正確にはコーヒーとビールが同率一位で好きだ。だから、マグカップもシビれたものを集めて、一人ぼっちのアトリエに30個近くある。スターバックスのものから道端で気になって入った店でシビれて買ったものからもういろいろである。コーヒーを飲む時はお湯を沸かすケトルのスイッチを入れる時にだいたいどのマグカップにしようか決まっている。30個もあるのに全部違うからその瞬間の気分で選ぶから続いて同じものを使うことはない。充足感がある、満たされるコーヒータイムになる。

 最近ラボでコーヒーを飲むことが多いから必然とマグボトルで飲むことが多くなった。夜遅くに帰って、アトリエで手に持つのはビールだから随分とマグカップで飲むことが少なくなった気がしていた。今、マグカップで飲んでいて気づいたけれど、マグボトルは飲み口が小さくあるものはコーヒーの味は分かっても、匂いが分からない。倒すことはないし、こぼすこともないけれど、匂いが分からない。だから、マグボトルで飲む時に何か物足りなさを感じていたのだと気づいた。もちろん、マグボトルのあの飲み口にしか穴のないのがよくないのであって、広い飲み口のものを選べばそんなことなはい。マグボトルもそうやって選ぼうと思った。

 マグカップで飲むコーヒーが美味しい夜。金曜ナイト。もう少しして、作業が終わればビールの刻がやってくる。えへへ😋

Have a good night & weekend.

| 吉田航太 | - | 22:59 | comments(0) | -
SUVの幸せ

 随分と前から大人数の集まりが嫌になり、もう出なければいけない時を除いては大抵は2人か3人で人に会うのが常である。今日はアメリカ時代の友人と大阪で会って、次の予定までその友人が車で送ってくれた。車はLexusのSUVだった。他ブランド他メーカーのSUVよりも一回り大きい印象を受けた。前日にも友人の日産のエクストレイルに乗ったけど、それよりもはるかに車幅が広い。心斎橋から御堂筋を走ってなんばまで送ってくれた。なんだかんだ、ちゃんと御堂筋を車で走ったのは初めてだったかもしれない。クリスマス月。イルミネーションが美しい。そして雨がまた一層美しさを際立たせてフロントガラスに映す。

 やはり、ドライブは大好きである。加えて、都市部の夜のイルミネーションで雨といったら、もうそれはGloriousなムードがたまらない。そしてハイブリッドのLexusのSUV。もう最高であった。やはり車がドライブが大好きである。シビれる。車は大きい方が好きで8人乗りのような大きなのが今までは好きであったが、ふとセダンというかSUVのような若干密室感を肌で感じるくらいの方が心地よいと今宵初めて感じた。一人もいいが、2人、3人で話しながら走る豊かさを想像した。ゆったり、2、3人でコーヒーやビールを飲んで話しているのもいいが、車に乗りながら話すのはまたいいと思い、大人の夢リストに加えた夜であった。

| 吉田航太 | - | 23:50 | comments(0) | -
優しく楽しく歳を重ねたい

 どうも最近卒業論文の不安に(卒論も写真関係のことをしてるけれど、卒業できないといろいろ崩れちゃうのが怖く)追われて調子が出ないので、大好きなX JAPANのYOSHIKIのニコニコ動画のYOSHIKI CHANNELのサブスクリプションに登録した。実は、僕のパパも名はYOSHIKI。笑 月800円ちょっとだからまぁいいかなと。

 YOSHIKIもそうだけれど、普段会う好きな大人、そして、尊敬する大人の方々は本当に優しい人が多い。そしてその優しい人達は比例するように社会的にも名声を得ている人が多い気がする。もちろん、仕事や大事にされてきたことは譲れないところはあるだろうから、ある意味怖いとは思うけれど。それは大事にしてるだけ当然だと思う。

 社会的な名声を得ること。それが人生の全てでは無いけれど、40、50、60歳でも優しい人は周りに人が集まっていて、社会的な名声を得ている人も多くて、かつ、楽しそうで。僕も会うたびに楽しいから、なんかいいなぁって思います。そうやって歳をとれたらもう何もいらないだろうなぁって思います。

 前は恥ずかしながらすごいとか気にしてた大学生だったけれど、最近はもうすごいとかあんまりどっちでもいいかなぁって思ってしまう。毎日楽しかったり、コーヒーとかビールとかビールとか一緒に飲んで楽しい時間を少しでも過ごせたら人生上出来なのかもなぁと思っています😋

| 吉田航太 | - | 02:18 | comments(0) | -
ラジオと全国、季節、人生

 普段、作業しているときは音楽をかけることも多いが、ラジオを聞いていることが多い。今は、アプリで月数百円でタイムフリー、エリアフリーで全国のラジオがいつでも聴けるので、すごくいい。夜行バスの中で聴くのが一番格別である。移動時間は何をしていても心地よいのであるが。今晩は、松山千春のon the radioを聴いていて、普段は札幌テレビ放送からであるが、今日はライブ先の富山県で北日本放送からの放送であった。放送内で松山千春が「僕は47都道府県に思い入れがある」と言っていた。ライブでくるくると全国を周り、またプライベートでももちろんあちこち動くのであろう。そして、松山自身は今も生まれ故郷、北海道に拠点を置き、いつも「新千歳空港から出発して」という表現をよく使っている。だから、彼が「地方」という言葉を使ったことがあまりないように思う。

 アーティストは既知の通り関東拠点の人が多いが、ライブに出かけることを「地方に出かけて」と言う。そもそも「地方」という言葉のそのものの意味は単にエリアを指すものである。イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワースが愛した「湖水地方」のような。つまり、別に田舎というようなニュアンスはそもそもなかったはずなのに、いつしかそんな意を含んでいるように思う。僕はあまり好きな表現ではない。

 話は戻るが、松山は北海道を拠点に置きながら、東京でも仕事にプライベートに頻繁に出かける。というか、どの場所にも新千歳空港からフレキシブルに週に何度も月に何度も動く。今年だったと思うが、機械トラブルで飛ばなくなった新千歳空港の飛行機機内で歌を歌ったのは記憶に新しい。だから、彼にとって鹿児島は地方とは言わず、鹿児島であって、東京は都会ではなく東京なのである。それで47都道府県を認識している。と勝手に思っている。そして、隔たりなく行き来をしている。そうやって身軽に北海道から沖縄まで移動しながら、その土地に住む友人に会い、その土地を味わい生きてゆくのは憧れである。

 高校卒業まで佐渡島に住んでいたときは、陸路で繋がっておらず航路だったため、年に数回、島外に出かけ帰るたびに物理的な隔たりを身を以て感じていた。出かけた先でも、「もう来ないかもしれない。」「ここにはめったに来られない。」という具合であった。だから、毎度帰路はセンチメンタルと言うか悲しい気分だった。けれど、島を離れ数年が経った今、お金のことは抜きにして、国内国外いつでもどこでも行けるという感覚になっている。そして、それの方がずいぶんと気が楽で、出先の滞在も帰る直前まで楽しくいられ、悲しくなることはない。無理にお土産をせっかくだからと買うこともしなくなった。またすぐに来れると思うからである。その方が、フラットにその土地を眺め、味わえていいと思っている。

 新潟で育ったので、北陸のあの辺りの冬の感じやにおいも知っている。今、住んでいる鳥取の四季も知っている。住んでいたことがある東京もしかりである。また旅した都道府県も何十とあるから、行ったタイミングの季節の良さが自分の中に残っている。そのどれもが二つとして同じものはなく、僕は好きである。夏になるとなんとしてでも高知のよさこいを見に撮りに行きたくなるし、ひろめ市場でカツオの叩きを食べてしまえば、他でカツオを食べたくなくなる。高知で食べたいと思う。鳥取の大山のソフトクリームも捨てがたい。寿司はやっぱり佐渡島が一番いいから他でチェーン店で佐渡島に劣るものを食べるくらいならそのお金でラーメンを食べたいと思う。食べ物が真っ先に出て来たが、もちろん、その土地土地を写すことが一番好きである。観光地にはめっぽう興味がないので、ただひたすらに歩いて写真を撮って、土地の人と話して、その土地のものを食べてビールを飲むで120%満足な旅になる。日本はもちろん、アメリカでもそうだった。だから、その土地の観光地は知らないけど、通りかかった公園で会った人が話していたその土地の魅力は知っている。それは写真を見ても蘇ってくる。そういった具合である。そうやってまた再び訪れた地で、以前訪れた記憶が蘇り、その時考えていたことを思い出し、そしてアップデートされてまた帰路に着く。その繰り返しをしていけるのは人生の楽しさである。

 松山千春の好きな曲のなかに「季節の中で」がある。その中に「巡る季節の中であなたは何を見つけるだろう」という一節がある。北海道も離島と言えば離島である。この曲もずいぶん前の曲であるが、四季の回転が早い北海道からまた違った四季溢れる島外に出れる喜びと好奇心を若い松山は大事にしていたのかもしれない。秋の富山の名峰、立山連峰。市内から眺めるのもいいけれど能登半島から眺めるのも好きとラジオ内で話していた。佐渡島に住んでいた頃、行く先を想像してワクワクしながら島外に向かうフェリーから海を眺めていた時の気持ちを忘れず、巡る四季を全国で味わって生きたい。

佐渡島の航路佐渡汽船より新潟市内を眺める
佐渡島の航路佐渡汽船より新潟市内を眺める
| 吉田航太 | - | 23:50 | comments(0) | -
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